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我が家で、”花倉城”と言えば・・ [地域]

 今週のNHKの大河ドラマ”風林火山”で、「花倉の乱」の話をやっていました。
 その花倉城跡は、我が家の近くに有り、藤枝市のハイキングコースのひとつになっていて、入り口に写真(2003年撮影)のような看板が立っています。今川義元と言えば、織田信長に不意打ちされて負けた、あわれな武将との知識しかなかったのですが、この看板を見て、家督争いに勝つくらいには優秀だったのだと知りました。さらに、今度のドラマでの取り上げられ方が当たっているなら、それなりの策士だったこ事になります。歴史とは、認識の仕方で大きく変わるもんだと実感します。
 花倉城跡は、我が家から往復で10km位の所にあります。標高差は250m程度ですから、元気な人にとっては、ちょうど良いハイキングコースです。2003年の頃は、わたしも大病する前で、たまに、妻とこの程度の距離を歩いていました。この時、往路は順調で体力も余っていたのでしょう、帰りは少し回り道をしようということになりました。地図を見ながら、別の道をたどって下山を試みたのですが、どこまで行ってもふもとにたどり着けそうにありません。人が殆ど歩いたことのなさそうな山道を歩くので、都会育ちの妻は悲鳴をあげています。(そんなときの妻は無口になります)迷ったことを知った我々は、仕方なく元来た道を引き返しました。
 我が家ではこの出来事以来、ちゃんとした道の無さそうな所にハイキングに行くことは無くなりました。そして、”花倉城”と言えば、山道で迷う代名詞になっています。


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コメント 1

昨日「風林火山」を見ていたら、あのときの記憶がまざまざと蘇ってきて、また切なくなりました。あの日おやじは、同じ道を帰るのはつまらないから、この地図上の道をたどって、家とは反対側のふもとに出るコースを行こうといったのですよ。彼は子どもの頃、野山を駆け回っていたそうなので、付いていきました。そしたらだんだん道らしき物がはっきりしなくなってきて、木の根っこが起伏して、階段のようになっているところをたくさん下って行くのに、いっこうに道とはぶつからない。落ち葉がどっさり積もっているところをずぶずぶ進み、急な坂を滑るようにして降りていきました。私は都会ほどではないけれど、町で育った子ですから、こんな所を歩くのは、とてもレジャーとは思えない。何でこんな所を行かなくちゃ行けないのか…、私が何をしたのか…などと思いながら苦行しておりました。そのうちおやじも、私のただならぬ様子に、前進を諦め、撤退の指令を!!そこで、ぱらぽんは一言、「え~っ、今来たところを戻るの~~~?」しかしながら、その坂を上っていくぱらぽんの素早さは、同一人物とは思えないものであったと、三線おやじは述懐する…。
 ホントに恐かったんだよ~。行けども行けども、誰にも会わないし。(出会っていたら、もっと恐いか!?)明日の新聞に「中年の夫婦、山で遭難」と出たらどうしようとか…。命からがら、戻りました。(の気分。)
 後日、友人にそのときのことを冗談めかして話したら、彼女が真顔で、
「あそこはよくあるのよ。あの乱で負けた方の怨霊がね~」「げっ、何それ!」アラタメテ、コオリツイタパラポンデシタ。ポンポン。
by (2007-02-05 21:42) 

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